ニートの歩きかたを読んで
「だるい」、「めんどくさい」。
未就学、未就労、未就活の「三M」がニートの定義だが、日本でも生活の上で会話のなかに普通に出てくるようになって久しい。
このニートって言葉は、ニート先進国のイギリスで生まれた言葉だが、ニート率でみても日本の二倍にものぼるらしい。
べつにニートに憧れがあるわけじゃないが、海外でも普通に市民権を得ているニートの世界観をみてみたくて、今さらながら、日本のニートブームの先駆けになった「ニートの歩きかた」を読んでみた。
働くために生きていないか?
当たり前だが、生きるための金を得るために、労働があるはずだが、働くために生きている人がとても多い気がする。
大企業の社員が自殺に追い込まれる事件が後を絶たないが、本来目的のはずだった「生きるため」が、いつの間にか労働が目的になっていないか?
筆者は、この本の冒頭でこの問いを投げかけることから物語りが始まっている。
社会との緩やかなつながり
少し前までは「引きこもり」という言葉で表現されていたように記憶しているが、自分の世界に入ったまま家でダラダラ過ごす人種のこと、くらいにしか認識がなかったように思う。
2000年くらいからのITのオープン化の流れによるパソコンの低価格化、ネットワークのブロードバンド化による双方向コミュニケーションが身近になったこと、WEBを中心にしたソーシャルメディアの発達。
IT業界に身をおく立場からみても、この20年の進化は、目が回るくらいの激しさに感じる。
特にソーシャルメディアの出現は、ニートにとって、社会とつながる糸電話の位置づけとして必須のツールになっている。
必要なタイミングで必要なものを、この無料の糸電話を使えば自由自在に手にいれることができる時代である。
この本の筆者もニートとして社会と「緩やかに」つながる手段としてのインターネットの重要性にたびたび触れている。
社会と個人のつながりのあり方は、会社などに属することによる「密結合」にあわせて、本人が必要なときに緩くつながる「疎結合」があるべきだ、と唱えている。
にんきょう(任侠)
ヤクザのことではなく、社会的弱者を助けるためのマインドのことを指しているのだが、日本で任侠というとヤクザのイメージしか、残っていないのではないだろうか?
この任侠の語源は、中国から来ており、紀元前500年にさかのぼる。ときは中国の戦国時代に最強と言われた孫子が、孫子の兵法を唱えた時代である。
中国の国土は日本の国土の23倍ある。
国土の広さだけ、異民族があり言葉や文化ぎ違うわけだ。
当然ながら全土を中央政府が統治をするのが容易ではなく、結果的に賊が蔓延り無法地帯となっていた。
この時代に、自治体が自衛手段として、賊から庶民わまもる機能として発展しだのが、任侠なのだ。
ニートがかならずしも社会的弱者とは思えないが、シングルマザー家庭や、非正規雇用による低所得家庭などへ貨幣価値で生活の質が大きく変わってしまう都市部では、もう少しこの「任侠」の機能を真面目に装備する必要がある気がする。
資本主義の終焉
誰がみても明らかなのが、株価の上昇で、大企業の内部留保は肥えたが、一般市民の給料は低いまま、であること。
「会社が人生を豊かにしてくれる」時代は、とうに終わっている。
まとめ
「一流大学でて、一流企業に入れば一生安泰」なんて時代は、終わってるのは周知の事実だ。
少しでも、自分の手で稼ぎ出す技術が、これからのシニアには必須な条件だ。
「めんどくさい」なんて、言っている間に少しでも手を動かして、収入源を増やす努力をしたい。