台湾に追いつき追い越せ
「愛日家、台湾」。
台湾に住んでいると、日々のちょっとしたことで、台湾と日本の距離の近さを感じる時がある。
なんとなく理解できる繁体字
世界中見ても「漢字」が通じるのは、日本を除いて、中国大陸、香港、台湾だけだ。
日本は戦後1946年に国語審議会によって旧字体を現代の「当用漢字」にしたが、大正時代から使われていた旧字体は、台湾で使われている「繁体字(旧字体)」にかなり近い。
中国はというと、1951年に毛沢東が文字改革を指示することで、従来の繁体字(旧字体)が簡体字に置き換わって、「味がない」簡体字が使われるようになった。
台湾は歴史的に、オランダやスペイン、日本の統治を受けてきた歴史がありながら、脈々と繁体字(旧字体)を「こだわり」をもって、使ってきたわけだ。
台湾はアジア圏の国の中で、とりわけ、日本に暖かい国である。
中国大陸はおろか、シンガポールだって、フィリピンだって、マレーシアだって、こんなに、日本人に親切な国はない。
「じいちゃんは、日本の教育を受けていたので、日本語がとても流暢」なんて、台湾では良く聞く話だ。
初の訪台
台湾に初めて来たのは、西暦2000年のこと。
まだ、いまみたいに台湾旅行ブームなんて「ほど遠い」時代だった。
台北市内も、今みたいにレクサスは走ってなく、会社の役員に人気な車はベンツオンリーだった。
台北の市内にある、日本人向けスナックもまだまだ賑やかなころで、お目当ての店に行ってはお店の女の子と「海老」の釣り堀に行ったものだ。
今でも、台北近郊に行けば「海老」の釣り堀は、大衆娯楽として楽しめる。
海老の釣り堀
「海老」の釣り堀とは、店の中に海老が入っている10メートル四方のイケスがあって、1メートルほどの短めの竿に桜エビを餌にして海老を釣るわけだ。
20センチクラスの海老は、ヒキが強くうまく合わせることが出来たときの興奮はなかなかのものだ。時間をわすれ夢中になってしまう。
釣った海老は、店にグリルが設置されており、自分たちで焼いて食べてもよし、店に調理を任せてもOKである。
20年前は台北市の飲み屋街に、わりと近い場所にもこの「海老の釣り堀」があり、お店の女の子を外に誘う言い訳にしていたわだ。
台北市の飲み屋街の女の子は、みな一様に日本語が流暢で、当時中国語も英語も出来なかった「外界と隔離」された時にずいぶんと気持ちの上で助かったのを憶えている。
その頃は、気に入った女の子を誘って、夜中の1時くらいに、ビールを飲みながら海老を釣る。なんとも懐かしい思い出である。
20年前のお酒の種類
お酒の種類も、その頃はかなり限定されていてた。
台湾ビール以外には、高粱酒(台湾金門島特産の穀物を蒸留して造った酒)しか無かったので、高粱酒をコーラで割って、なんちゃってコークハイを作ったり、工夫をして楽しんでいた頃だ。
台湾の物価
物価もまだ、今ほど高くなく、食事は日本の三分の1くらいだったように思う。
日本はバブルが弾けてから失われた20年を経て経済成長が止まったままなことを考えると、昨今の台湾の成長ぶりには目を見張るものがある。
2000年は一人あたりのGDPは170万円だったのが、今年は240万円と実に140パーセント増と急激に成長している。
日本は2000年からほぼ横ばいの420万円。
このまま台湾が順調に成長し続けるのか否かは正直わからなが、伸びていく勢いは間違いなく本物だ。
まとめ
中国語が分からなくたって、筆談でなんとか通じあえる国台湾。
日本が統治していた歴史はすでに過去のものであり、経済的には日本の企業のほうが学ばなくてはいけないことがたくさある、としみじみ思う今日この頃だ。