台湾の歴史ある温泉街を散策
日本は関東でも初雪が観測されたようだが、猫背の姿勢になるくらい、ここ台北も今日はとびきり寒い。
気温15度ではあるが、湿度が80%を越えるので、体感温度でいうと10度くらいだと思う。
湿度は水分なので、伝導率が空気より高いのだ。したがって、湿度が高いと気温が体に伝わりやすく、寒いときに湿度が高いとより寒く感じる。
台北はこれからの冬のシーズンはダウンコートが必要な日がたびたびある。
冬場に台北に旅行されるかたは、「あ、台湾って常夏だよねー。薄着でいいでしょう」なんて考えて、現地で寒くて震えるようなことがないよう留意いただきたい。
礁溪溫泉
古くは18世紀の清朝時代、中国福建省からきた漢民族が開拓したのが始まりとされている。
温泉の成分は炭酸水素温泉である。源泉は50度から58度の無色透明で、PH値は7.2から7.5の弱アルカリ性に属する。
日本の炭酸水素塩泉としては、黒川温泉(熊本)、強羅温泉(神奈川)、天降川温泉(鹿児島)などが挙がる。
炭酸水素塩泉は「美肌の湯」で知られ、炭酸水素塩泉は、肌の不要な角質や、毛穴の汚れを取り除くそうだ。
炭酸水素塩泉は入浴用としてだけでなく、飲泉の効果もある。
糖尿病、痛風、肝臓病など、生活習慣病に効果があるそうだ。
足湯
町の中心部には公共の足湯がある。早速、靴下を脱いで浸かってみる。
お湯の温度は37, 8度と人肌だが、今日はとても寒く、5分はいっているうちに上着を一枚脱ぎたなるほど足元からポカポカと暖かくなってくる。
温泉街で食べ歩き
あまり、知られていないが、台湾山脈から湧き出るミネラル豊かな水が、宜蘭には無限に湧き出ている。
三星ネギ
宜蘭は豊かな湧水以外に、雨量が多く、日夜の温度差が大きいことで、ネギの成長速度を緩和したさせられる。
ネギの白身の部分が長く、葉肉が厚い上、口当たりがとても繊細である。生で食べても、あまり渋みがない、という特徴を持っている。
三星ネギ餅
揚げたてのふかふかの揚げパンにかじりつくと、みずみずしいネギと、もちもちの春雨が「ワサッ」っと出てくる。
味付けもあっさりした塩味で、何個でもいけちゃう感じ。
ピーナッツとアイスの生春巻き
台湾の落花生は、とっても味が濃いのだ。千葉落花生に引けを取らない味だ。
まとめ
台湾、日本を行き来して20年。
観光ガイドに載らないようなちょっとした小ネタを踏まえて、あなただけにお伝えしたい、台湾東海岸の温泉地。
台北の街並みに飽きたかたは、たまには郊外で違う風景を見に行かれたらどうだろうか。
台北で熟成肉を食す
そろそろ小籠包にも飽きたころではないだろうか?
台北は東京都内に負けない本格イタリアンレストランが数多くあるが、今回はとてもうまい熟成肉(ドライエイジングビーフ)とイタリアワインが飲める店を紹介する。
熟成肉にはいろいろな製法があるが、この店の熟成肉は「ドライエイジング」手法を採用している。
肉の保管庫の中で。風を送って乾燥させながら肉を熟成させていく方法だ。
保管庫の温度は0から2度、湿度は70から80%くらいに保ちながら、大きな扇風機のようなファンを回して強い風を当て、空気を循環させていく。
これを22日間にわたって作業した肉がこれだ。
まず芳潤な香りがすることにびっくりする。
赤身の色を見てもらうと分かると思うが、熟成前の赤身のステーキとくらべると「肉肉しい」感じがやや抑えられて歯応えは柔らかな感じ。
肉のサシの脂身も、口の中でなんとも滑らかな舌触りがする。
台北にはアメリカ🇺🇸の有名ステーキチェーンであるルースクリス ステーキなど多数あるが、本格的に熟成肉を出すお店はこの店以外に知らない。
メインの肉の前にはイタリアのエールビールを飲みながら、モッツアレラサラダで乾杯。泡が非常の濃厚である。はちみつが入っているのでとてもマイルドな味わいであり、ほのかにパイナップルの味もする。店主によれば鶏肉料理にとてもマッチするとのことであった。260元。
お次はスパークリングワインを飲みながら、トマトソースベースのシュリンプパスタと、ゴルゴンゾーラソースベースのジャガイモパスタを食す。
やや甘口。ほかにも種類あり。
パスタの大きさがまちまちなことで、絶妙にソースに絡み、もっちり感がたまらない。
お皿も非常にユニークな形で雰囲気を盛り上げてくれる。
スパークリングワインから、イタリアの赤ワインにチェンジ。
ミディアムボディの飲み口で、フルーティなかおりのとても飲みやすい赤ワイン。1500元。
店の店主のこだわりで、かなり豊富なりイタリアンワイン、赤ワイン、白ワイン、スパークリングの在庫がある。
クリームが濃厚で、甘すぎず大人の味。
台北市内にあるレストラン。101ビルの近くなので、昼は101で観光してから、このお店を使っても良いのではないか。
ただし、当日予約は厳しいので、一週間前までの予約をおすすめしたい。
ちなみに、店内では中国語はあまり、通用しない。店主は欧州のかた。店員も気さくで英語が流暢だ。
お試しあれ。
サーフィンを通じて免疫力をアップするということ
2020年オリンピックの正式種目となったサーフィン。世界中からトッププロサーファーが日本にやってくる。
今から遡ること30年前、先輩にもらった中古のサーフボードを持って、ワクワクして海に向かったことを懐かしく思い出す。
千葉県でサーフィンのサーキットツアー
1981年から千葉、部原海岸で開催されていたサーフィン世界大会。トム・カレン、ケリー・スレイター、トム・キャロル、デレク・ホーなど今では伝説となったプロサーファーが勝浦の海で熱い戦いを繰り広げていた時代である。
東京湾アクアラインが建設されたのが1997年のことなので、当時は横浜から南房総に行くのは一苦労だったわけだ。
始めた頃は正直なところ女の子にモテたい一心だったのを憶えている。
今は死語となった「岡サーファー」なんてキーワード流行った時代でもある。
サーフィンはむろん海で行うアクティビティなことはお分かりだと思うが、「茶髪でロン毛」でサーフィンを「やってる感」を醸し出し、サーフボードを抱えて海辺に行くのだが、海辺で女の子をナンパするのを目的としいる輩のことを総称する言葉である。
ちなみに、海には入らない。
社会人になり、結婚をして家族を持つ頃になると、サーフィンから遠のいてしまう仲間が当然ながら増る。そりゃ毎週末、仲間と海に行くなんて奥さんに言おうもんなら家庭不和の種になることも大きいだろう。
私はというと、ラッキーなことに一緒になったカミさんの度量が深く、サーファーが必ず迎えるその危機をうまく乗り越えることができて今に至るわけである。
サーフィンをやったことがない友人から「サーフィンの何がそんなに楽しいのか?」とわれることが度々ある。
そのたびに「サーフィンは波に乗ったときの快感が最高なんだよ」と友人にこたえているのだが、やったことないのだから「波に乗るってどういうこと?」という質問がきてやりとりに困るような場面が度々ある。
今日は、そんな「レクレーション」の要素からみたサーフィンの視点から「なぜ人がサーフィンに夢中になるのか?」という視点で考察してみたいと思う。
心的外傷後ストレス障害、通称PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)として広くしられているが、このPTSDの研究は古く、19世紀後半から始まっている。
最初の研究は19世紀後半にさかのぼる。
中でも特徴的なのが、米国で1955年に始まったベトナム戦争など戦場帰りの軍人が抱えた「戦闘ストレス反応の症状」である。
当時、アメリカは20台前後の若者270万人を兵士としてベトナム戦争に送り込んだ。
そのうち58,000人が戦死し、残りの数多くの兵士がPTSDで苦しんでいる。
現代では退役軍人を中心として90万人以上の方が、この心的外傷後ストレス障害に苦しめられているのである。
また心的外傷以外にも、以下の写真にあるような、通称’jungle rot'という、ジャングルのような高温・多湿環境において、最近が繁殖し手足の皮膚が腐り落ちていく症状の兵士も少なかったのだ。
ある兵士の実はだが、”ベトナム戦争終了後、本土に戻ったあと、この’’jungle rot'に悩まされて三か月間の入院でも改善がみられず、医師もお手上げだったが、サーフィンを始めるようになって二週間ですべてきれいに治った、という記録がある。
数年前、アメリカの海軍は、1億円を投じて「サーフィンのセラピー効果」の実証を行っている。
まず14人の退役軍人を1グループとして、6週間のサーフキャンプを実施したあと、参加者にアンケートをとったところ、14人すべてに不眠症、不安感の軽減、鬱症状の緩和が見られたのだという。
また、この実正で「山をハイキングすることよりもサーフィンをしたほうがセラピー公開が高いのではないか」という仮説の検証も実施した。
三年間を通じてこの検証を実施したところ、参加者の118名がサーフィンがより効果があったとし、ハイキングを支持した48名を数として大幅にこえたことも明らかになった。
今でもカリフォルニアのサーフミュージアムにいくと、ベトナム戦争時代に東シナ海(ベトナム中部ダナン)でサーフィンしたときの写真などの展示物がみられるということだ。
「退役軍人だけのこと」ではない。日本もますます、経済格差が激しくなり、社会的ストレスが増えてくることは想像にかたくない。われわれを取り巻く環境は日に日に厳しいものになるだろう。
40代、50代でもまだまだ、遅くはない。単なるレクリエーションの枠を超えた「サーフィン」にぜひトライして見ていただくことを提案したい。
また、最後に「ささやかながら」それなりの生活を送り、海を愛する生き方を選ばせてもらえた、妻にあらためて感謝したい。
グローバル戦略を考察してみる
激動の明治とよく言われるが、欧米諸国と対等に肩をならべるために、「如何にして日本国としての威厳を押し出すか」が主題だった時代である。
日本の近代史で、普段はあまり表舞台にあがらない二人の人物を取り上げて、グローバル戦略を考えてみたい。
ドイツ留学、フランス駐在武官などの経験を生かして、対ロシア工作の中心人物になった明石元二郎(元)総監の遺言である。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」に、ロシアの諜報員として登場するが、この方がいなければ、旅順港の防衛状況とか、バルチック艦隊の進路もわからなかったので日露戦争の結果は覆っていたかもしれない。
1919年に福岡の自宅で肺炎を患ってなくなるのだが、台湾の総督として志半ばでなくなることが無念だったに違いない。
明石の台湾統治方針は「300万人ともいわれる台湾の本島人をどこまでも日本人として受け入れ、日本人の中に繰り込んで、本来の日本人と見分けもつかず、差別もない人々にする」というものであった、とのこと。
語学は堪能で、ドイツ語、フランス語、ロシア語などは他の追随を許さなかったと言われて、最終的には六か国語を習得したという。
赴任先につくと、約半年間は自宅にこもって、新聞を徹底的に読みこなす訓練をしたという。
電子手帳や、ネットで語彙を調べる手段などない時代の、外国語の習得の難しさは想像に難くない。
習得した語学をツールとして、日露戦争開戦後、明石は、ストックホルムを根拠地としながらドイツ、フランス、スイスなど欧州各地を飛び回って、諜報網の確立や、反帝政ロシアを標榜する団体への支援などの後方攪乱工作に従事した。
旧日本人墓地で、ご本人の墓は台湾の北側へ移されたが、当時の明石元二郎氏の鳥居だけがひっそりと台北の静かな公園にたたずんでいる。
建築家の辰野金吾は、イギリス留学を経て、84年からは工部大学校の教授を務めるなど建築教育に専念した。
東京駅や日本銀行など、東洋随一と謳われた西洋建築を生み出した偉人である。
台湾にも数多く、辰野が携わった建造物がある。
代表的なのは旧台湾総督府。ここは、台湾における最高統治 機関として君臨した行政庁舎である。赤煉瓦と花崗岩の白石を混用して造られ、重厚感をまとってた建造物だ。
総督府新庁舎の設計は総督府土木局が担当。東アジア地域への進出をうかがっていた欧米列強に対し、新興国の日本はいかにして国力を誇示するかという命題に向かい合っていたことより、建物のデザインは威厳を全面に押し出したものが求められた。
総督府は敢えて西洋古典様式を採用し、欧米のスタイルを踏襲しつつ、その中で国威を誇示するという手段を選んだとされている。
デザインについては公募という形でプランを募り、辰野金吾は評審委員としてかかわっている。
令和元年の今年は、奇しくも両氏の没後100年となる。
情報機器の目覚ましい革新の恩恵により、寝る間を惜しんで新聞で勉強したり、貴重な外貨をつかって欧米に学習しにいくことなく、スキルが身につく時代である。
両氏の歴史を振り返るうちに、「真のグローバル戦略とはなんなのか?」考えさせられる。
一つのヒントは、戦前育ちの台湾人がよく引き合いに出す美徳観念として武士道があがる。
狭義の武士道は、「文武両道の鍛錬を欠かさず、自分の命を以って徹底責任をとる」という武士の考え方を示し、広義の武士道は、この考え方を常識とする日本独自の思想を示す。
あらためて、自分にこの武士道が実行できているか、すこし酒でも飲みながらじっくり考えてみようとおもう。
台北で地魚料理を食べるならここだ!
なにも台湾まできて刺身を食べることもないよ!
なんて人もいるだろうが、台北リピーターにおすすめしたい、台湾の地魚料理を日本人の大将がやっている店を紹介したい。
台湾の魚というと、台湾南部の黒マグロ、さくらエビなんか有名である。
黒マグロ
シーズンは毎年4~6月。美味しい魚肉は、黒い金と言われるカラスミよりも高い値段が付けられている。
さくらエビ
日本の駿河湾のサクラエビは有名ですが、台湾の東港のサクラエビも非常に有名である。市場では一年中供給されている。
台北からだと、新幹線の1時間半、新幹線高雄駅から東港までタクシーで約40分の距離なので「1日がかり」の旅行になる。
交通費は、新幹線とタクシー代で、おおよそ4000元くらいかかるだろう。
「もう少し近場で地魚食べられないの?」ということで、台北近郊で新鮮な地魚の刺し身が食べられる店を紹介したい。
台北からは台湾山脈を越えて東海岸へ抜けたところにある宜蘭県で最初に開発された町で、鳥石漁港の近くにあり一時は貿易で栄えた場所である。
清時代の古い街並みが残っており、宜蘭で最も古い廟も老街の中にあります。今でも崩れることのない煉瓦造りの建物を見ることができる。
鳥石漁港では、イルカが生息しており、夏のシーズンはイルカ鑑賞の船が定期的に出ているのでチェックしてもらいたい。https://www.ez666.com/
店名:魚季 Sashimi&丼食 https://www.facebook.com/fish.season.sashimi/
おつまみに合わせてビールをのんで、お腹いっぱい握ってもらって、一人1000元。
ちなもに、こちらのお店の大将は日本人。
すこしシャイな大将だが真心をもって握ってくれる寿司はファンが多く、台北から、わざわざこの店を訪ねてくるお客もすくなくない。
九州の一回り小さいサイズの台湾。日本と同じく四方が海で囲われた土地である。
日本の最南端の与那国島と、今回ご紹介した頭城は直線距離にして100㎞ほどしかない地理環境だ。
リピーターは台北だけではなく、半日でもよいので、東海岸に出向かれることをおすすめしたい。
意外なところに日本と台湾の共通点を見つけることができるはずだ。
梅田君の「自学ノート」に思う
先日のNHKスペシャルで特集を組まれていた梅田明日佳君の「自学ノート」を観て感じたことをお話ししたい。
この半年で7度再放送されている特集なので、ご覧になった方も多いのではないか。
北九州市出身の高校二年の男の子、梅田明日佳君が主人公。
子どもノンフィクション文学賞を受賞されている
彼は、社交的ではなく、どちらかというと自分の好きなことを、黙々とこなすタイプ。
彼の宝物が、このNHKの番組の主題である、「自学ノート」である。
「自学ノート」とは、梅田明日佳君が、日々の新聞から自分のピンとくる記事を切り抜いて、日々の自分の日々のトピックとして、大学ノートに感想と共に整理をしたものである。
小学五年生から毎日欠かさずトピックを整理して何冊も大学ノートが溜まっている。
この大学ノートが、彼が住む地域の、時計屋の社長や、地元の有力企業の社員さんなどと、この「梅田君」を繋ぐ架け橋になっているのである。
「メーテルが僕名前を呼んでくれた」。
福岡県北九州市は松本零士氏の故郷としても有名でメーテルに扮した女性が、小倉駅前の観光窓口で、出迎えをしてくれるそだ。
梅田君はメーテルが大好きなので、さっそく、自学ノートを使うことでメーテルと繋がりを持つことが出来たのだ。
「ねくらで、協調性は無く、友達はいない」。
梅田君の「自学ノート」は、ややもすれば単なる小学生が付けてる日記帳に過ぎなかったはず。番組では、梅田君のご両親も出てこられるのだが、小学生のころは、梅田君の性格のことでかなり苦労をされたということだ。
二人の子供を育てた身として、痛いほど大変さが伺える。
千葉大学の一川 誠准教授によれば、「時間の感じ方」と「錯覚」には相関があるのだと言う。
『年齢を重ねていくとモノを見て判断するのにも時間が掛かるようになる。実際には時計の刻む1分、1時間、1日、1年は心的時計と比べると早く進んでいるため、あっという間に時間が経った気になる』と言うのである。
言いかえれば、モノを見て判断することを、子供時代のように増やすことができれば、時間は長く感じられる、という理屈である。
梅田君は自学ノートを使って、すくなくとも7年間は非常に「濃い時間」を過ごしていたわけだ。
しかも、番組の最後に彼が言った言葉は「この自学ノートは僕の宝物です」。
私はというと、昭和生まれで、先日52歳になり年齢的には立派な壮年世代だ。
ただ、週末は時間があれば海に波乗りに出かけることが楽しみな壮年である。
週末の海に向けて、2年ほど前からヨガも初めてみた。
この冬はsnow surfingにも取り組むつもりだ。
人に何を言われようが、愚直に前向きに必死に生きている、梅田君に感動した。
梅田君に負けないように、50代も、もっとアクティブに人生を謳歌しようではないか。
80年の歴史がある台湾弁当屋のススメ
「弁当〜弁当〜」。
ショルダーストラップに色々な弁当をのせた弁当の立ち売りである。
今ではあまり見かけることがなくなった光景だ。
台湾でことし80周年を迎えた老舗の弁当屋がある。
弁当屋:悟饕池上飯包
日本統治時代の1939年。台湾の東側の花蓮から台東の行き来は鉄道が主だった時代。
8時間の電車旅に欠かせないのが駅弁だった。
弁当屋の由来は、台湾の東海岸にある台東、池上地区で獲れる池上米を使った弁当である。
以前、本ブログでもご紹介した「蓬莱米」の子孫である。
※「蓬莱米」新嘗祭で天皇陛下へ献上するために台湾の気候に合わせて改良した日本米のこと
ゲットウの葉の包みにご飯と滷肉、沢庵漬け、焼いた干し肉、豚レバー、赤身肉と蛋餅、そしてえびせんと梅干しが入った素朴な弁当である。
同社の今年の売り上げは台湾元で約20億円(日本円で80億円)、台湾のみならず、シンガポールや、中国大陸へも店舗展開をしている台湾発の弁当グローバルチェーンの最大手である。
日本の最大手のHottoMottさんで、弁当部門の売り上げが、700億円ということであるので、日本と台湾の人口比でみると、この6倍の悟饕池上飯包さんは480億円の売り上げ相当ということになる。
弁当の特徴
・木箱にこだわりを持つ、冷めても旨い弁当、である。
木箱の何がよいか?ということだが、「おかずの汁が弁当につかない」こと、があがる。
つまり、お米がべちゃべちゃせず、しっかりとお米を 噛んで食べられるということだ。
とても細やかな点であるが、この弁当を食べるたびに、その気配りが素晴らしいもの、と気づくのである。
おすすめ
鳥の唐揚げ弁当
台湾はとにかく、鳥肉が新鮮で旨い。カーネルおじさんが、台湾でビジネスとして苦戦するのも頷ける。
「外はカラッと、中はジューシー」。この鳥ももの唐揚げだけで、缶ビール2本くらいは軽くいけてしまう。このビッグサイズで80元(280円)なので、お財布にもとっても優しい。
食べる時は、是非クレイジーソルトを振りかけて欲しい。携帯用クレイジーソルトがあるので、バックに 忍ばせておくと、なにかと便利だ。30gととっても携帯 しやすいサイズだ。
悟饕池上飯包文化故事館
台湾における弁当の歴史を見れる博物館が台湾の台東にある。
台湾リピーターで、台北に少し飽きてしまった人には、オススメの場所である。
http://www.wu-tau.com/storys.php
まとめ
台湾の弁当は、種類が豊富で、何よりも上手くて安い。「安い、旨い、早い」の三拍子が揃っている。たまには台北を飛びたして、東海岸線を電車に乗りながら、弁当とビールでゆっくりする週末も必要だと思う。